2006年 04月 02日
4ヶ月ぶりぐらいに更新してみた。 誰も見ていないからまーいいかな。 帰国してから何をしていただろう 久々に振り返ってみる 11月、帰国したばかりというのをいいことに、仕事はしていない。 なにもしていなかったわけではなく、自分なりに就職活動はした。 小○の某私立高校、札○の某私立高校、二つの学校に応募した。 オーストラリア留学を全面にアピールしたその履歴書には何の魅力もなかったらしい。 二校とも書類選考落ちという悲しい現実が待っていた。 残された唯一の道、教育委員会の臨時教師に登録した。 面接も終え無事登録、あとは待つことしかできない。 この時期臨時がまわってくるということは、誰かが事故や病気、なんらかの原因で出勤できなくなり、その代替としての勤務以外まずないといっていいだろう。 一ヶ月が過ぎ何の連絡もなく、生活のために働かざるをえなかった。 昔お世話になった郵便局のおじさんが誘ってくれたので、某郵便局の非常勤職員としての生活を始めた。教員とは全くもって種類の違う業種。 物言わぬ郵便物と毎日向かいあう。正直楽。なんのストレスもない。 だが同時になんの面白みもなかった。 年末、あがく。 ハローワークで小学校の臨時を募集していた。 迷わず応募。 だが今回は分が悪いのはわかっていた。 小学校免許がない。 あっさりライバルに敗北。 郵便局員を続けた。 一月末、結構仕事のおもしろくなさに限界がきていた。 そこに神の手 教育委員会からの電話だった。 中学校での時間講師。 即答し、郵便局を退社、二年ぶりの教師としての生活が始まった。 担当は中学二年生。 久しぶりの教壇はなんの緊張もなく、スムーズにスタートできたと思う。 この学校にはALTが常駐し、英語を話す機会もあり最高だった。 あっという間の二ヶ月が過ぎ別れの時。 不完全燃焼 二ヶ月はあまりに短すぎた。 もっともっと一緒にいていろんなことを話したかったなーと思う。 朝の登校指導、昼の給食指導、放課後指導、部活指導、職員会議・・・時間講師はそれに参加しない。授業だけすればいいのである。。。 だけど教師という仕事の楽しさは再認識することができた。 生徒達には感謝している。 数日間、次の職が決まらない不安な日々が続いたが、幸運にも教育委員会から電話をいただいた。 4月3日からの新しい職場が決まった。 今回は期限付きとして、普通の教師と同じ扱いで働くことができる。 待ち望んでいた環境を手にした。 明日初出勤。実に楽しみである。
by whaleshark1214
| 2006-04-02 20:35
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About AyaShin
2004年11月から一年間、夫婦でワーホリ。西オーストラリアパースを拠点にオーストラリア中を旅してまわりました。帰国後の生活をこのブログで紹介していきたいと思います。 by whaleshark1214 カレンダー
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